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139 聴き上手は話させ上手、決め上手は何上手?

【聴き上手は聴き上手にあらず】

『世の中には、「聴き上手」といわれる人がいます。これは聴くのがうまい人のことではありません。』

失礼ながら斜め読みをしていた本に、ふと引っかかりる箇所がありました。「聴き上手」イコール「聴くのが上手い人」ではないとしたら、いったい何なのか。

読んでいたのは森田 幸孝さんという方の『コミュニケーション能力を鍛えよう! 聴く技術と伝える技術』という本。聴き上手とは、

『相手に話をさせるのが得意な人のことを言っているのです。』

とのこと。一瞬、単なるレトリックのように感じました。聴くというのは相手に話してもらうことなのだから、同じではないかと。でも、違いますね。「聞くのではなく聴くのです」というくらい傾聴に興味のある聴き手に全力で傾聴されると、かえって話しづらかったりします。

わたし自身、聴き上手になったつもりでうまくいかなかった、最近の経験を思い出しました。

先日、拙著(『クリエイティブ・チョイス』)を読まれた方から、自分の経験を聴いてほしいというご連絡をいただきました。わざわざ会いに来てくださるからにはきちんと拝聴しようと決めて、お目にかかりました。

自己紹介をして、お互いの経歴や興味など当たりさわりのない話をして、いよいよ本題……に、なかなか入りません。すこしためらわれているようでしたので、急かしてもよくないと思い、こちらもあえて水を向けませんでした。

それでどうなったか。そのまま終わってしまったのです! おそらく本題かな、という話題の周辺を行き来しつつ、時間切れになってしまいました。いろいろ話ができたことを喜んではくださったものの、「緊張してしまい、用意した話題の半分も話せませんでした」という言葉をお聞きして、自分の失敗を痛感しました。いわば「聴いたが、話させなかった」のです。

聴くのは自分ですが、話すのは相手です。「よく聴いてもらえた」というジャッジをくだすのも、相手です。もし「(自分が)よい聴き手になろう」でなく「(相手に)話してもらおう」という意識を強く持てていたならば、会話も違った展開になったでしょう。

その意識を持つために、視点を変えて相手の立場に立った言葉づかいで考えるのは、有効そうに思います。たとえば、聴き上手は話させ上手です。逆説的な表現でわたしの目を引きつけた著者は、書き上手というより読ませ上手です。同様に、伝え上手は分からせ上手、教え上手は学ばせ上手です。

【決め上手は何上手?】

せっかくですから、当コラムのテーマである「決める」についても、同じように視点を変える言い換えを考えてみます。「決め上手は決めるのが上手い人ではありません。~な人なのです」と言える、気の利いた表現があるでしょうか。

マネジャーとしての決め上手と、個人としての決め上手に分けて考えます。これまでの論法に則って考えれば、「決め上手なマネジャーは従わせ上手」ということになります。ただこれでは、自分が決めて部下に従わせるという、いかにも上意下達なマネジャーのように感じられます。

決め上手なマネジャーは、自分の決定を、部下が自らの意思でそれを決めたと思えるように運ぶでしょう。「決め上手なマネジャーは決めさせ上手」だと思います。

個人としての決め上手を言い換えるのは、なかなか難航しました。これまで見てきた行動には相手がいますから、相手の立場に身を置いて考えることができました。しかし個人においては、決めるのも自分、その結果を受けとめるのも自分です。

では、決めたことを後から振り返ったとき、そのよしあしは何で測られるだろうか。そう考えてみると「決め上手は満足上手」という言葉が浮かんできました。

起業や転職などの個人的な意思決定を例に考えてみます。ふつう「決め上手」といって思い浮かぶのは、よい結果が得られそうな選択肢を早く見つけ出せる人でしょう。決定に至るまでのプロセスにおいて最善を尽くすべきことはいうまでもありません。「決め上手は決めかた上手」であるべきです。

しかし最善を尽くしてもなお結果が保証されないのが意思決定というもの。特に個人的な意思決定においては、よしあしを判断するのは自分であり、その判断基準も主観的でよいわけです。ならば結果を上手に受け入れること、つまり満足上手であることも、決め上手の一つの側面だといえるでしょう。アメリカの心理学者バリー・シュワルツは、著書『なぜ選ぶたびに後悔するのか』でマキシマイザー(つねにより多くの選択肢を求めたがる人)よりもサティスファイサー(少ない選択肢で満足できる人)のほうが幸福度が高いと指摘しています。