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072 よい意志決定のための能力モデル(1)

今回と次回の2回に分けて、「よい意志決定」に必要な能力モデルを考えてみたいと思います。今回は、そもそも当コラムにおける「意志決定」とは何か、それが「よい」とはどういうことかをまとめます。

●状況(刺激)と行動(反応)の間に、選択の自由がある

われわれは、状況に合わせて行動しています。行動の多くは、置かれた状況(受けた刺激)から自動的に引き出されます。

 状況(刺激) → 行動(反応)

しかし、状況は同じでも行動は人によって違います。たとえば、マネジャーの皆さんに、ある事業についての短い状況説明を読んでもらい、次の一手を瞬時に挙げてもらうというエクササイズをすると、実に多種多様なアイディアが挙がります。「こういう状況では撤退しかない」という人もいれば「まず、業績がここまで悪化した原因を探りたい」という人もいます。つまり、人それぞれに状況を解釈するパターンが違うのです。

 状況(刺激) → (自動化された解釈のパターン) → 行動(反応)

実際には、状況(刺激)と行動(反応)の間には、つねに選択の自由があります。

 状況(刺激) → 選択 → 行動(反応)

選択の自由について、大まかに知・情・意の三つの視点にわけて考えてみます。

まず「知」的な面では、行動を「考えて」選択する自由があります。これは当たり前に思えます。われわれが、書籍を読んだり研修を受けたり大学(院)で学んだりするのは、おもにこの自由を活かすためでしょう。
一方で、慣れ親しんだ仕事であればあるほど、ある状況に置かれてどう行動すべきかは、「考える」までもなく「浮かんでくる」ことが多くなります。いわゆる直感の働きです。実務上は、面倒・時間がないなど様々な理由で考える自由を行使せず、直感で行動を選択するケースも多いのではないでしょうか。
(直感は当てにならないというわけではなく、直感ならではの役割があります。たとえば「直感に理由づけをしようとすると……」など)

次に「情」的な面での選択について。直感を形成するものではありますが区別して理解しておきたい「自動化された解釈のパターン」として、思い込みがあります。
われわれは誰でも「世界はこのようであるべき」という思い込みを持っています。いわゆる認知行動療法が基礎に置いているのは、人間は状況そのものというよりも状況に対する思い込み(認知、信念、思考などと呼ばれます)に対して行動しているという考え方です。何らかの方法で思い込みのパターンに気づき、その歪みや偏りを直すことができれば、望ましい行動を選択することができるはずです。

最後に「意」的な面での選択について。上記のように、行動の前に選択のために一拍置くことは、「プレッシャーのかからない状況であれば」比較的実現性が高いと思います。しかし実際には難しいものです。効果的な思考法の研修を受けても「考え方はわかったが、“現実には”そこまで時間がかけられない」と思ったことはないでしょうか。また、怒りへの対処法も学んだはずなのに、部下の失敗に思わずカッとなってしまうことはないでしょうか。行動はつねに選択することができると考えて実践していくためには、つよい意志が必要です。心理学者のヴィクトール・フランクルは、第二次世界大戦でナチによって強制収容所に収容され、その後生還しました。彼は徹底的に行動を統制され、極限まで尊厳を傷つけられる状況においてなお、自分の精神の中に自由があることを見出します。状況を「人生からの問い」とみなし、それに答えていこうという態度を選択する彼の自由を奪うことは、誰にもできなかったのです。この発見によって彼は自分の人生に主体性を取り戻し、収容所生活を生き抜く力を維持することができました。

●意志決定とは、動く目的を追いながらの連続的な選択のプロセス

選択の前には判断という過程があり、主体的な選択には自分なりの判断基準が必要になります。そしてわれわれが判断の基準にできるものは、2つあります。一つは、文字通りの判断基準といえる「価値観」であり、もう一つは「将来こうありたい」というイメージである「将来像」です。この2つを合わせて目的とします。

 状況(刺激) → 選択 → 行動(反応) → 目的

状況は日々変化します。外的な要因によって、また自分の選択した行動によって、自分の状況は変化していきます。

しかしそれ以上にわれわれを悩ませるのは、目的も実ははっきりしていないし、はっきりさせたとしても変わりゆくものであるということです。たとえばわたし自身、9年前と今とでは、仕事の選択基準が変わっていると感じます。乳幼児だった2人の子どもが大きくなっていること、様々な仕事を通じて楽しみや苦しみを味わったことなどが、自分の目的意識に変化を及ぼしていますし、それは健全な変化だとも思います。

ときには、状況が目的の書き換えを促すこともあるかもしれません。たとえば頼み込んで任せてもらった新プロジェクトに失敗し、左遷されてしまったとしましょう。当時描いていた将来像からは遠ざかってしまいました。もちろん、そこからまた将来像をめざしてもかまいませんし、「この失敗が最善の投資となるような将来像はどんなものか?」と自問することで、もしかしたら失敗が失敗でなくなるような将来像が見いだせるかもしれません。目的をどう持つかで状況の解釈が変わり、したがって取るべき選択も変わります。

状況と目的がこのようにダイナミックであるならば、われわれの選択もまたダイナミックにならざるをえません。変わりゆく状況と目的をおさえつつ、そのとき・その場において最善といえる行動を選択していく、その一連のプロセスを意志決定と呼びたいと思います。

●機を逃さず、後悔の少ない選択を重ねる

上記の意志決定の定義において「最善といえる行動を選択していく」と書きましたが、具体的には何をもって「最善」の選択と判断すべきでしょうか。拙著『クリエイティブ・チョイス』では、創造的な選択の条件として次の4つをあげました。ここで考えていた創造的な選択が、わたしにとっては最善の選択と同義です(1)

  1. 自主的な選択
  2. 目的にかなった選択
  3. 機を逃さない選択
  4. 後悔しない選択

1と2は必要条件のようなもので、ここまでの説明から明らかですので、3と4について引用します。

機を逃さない選択
多くの出来事はわれわれのコントロールできないタイミングで降りかかってきます。その機を逃さない選択をめざします。「何もしない」という選択であっても、「時間切れで見逃した」のではなく、「自信を持って見送った」といえるような選択をめざします。

後悔の少ない選択
結果をコントロールできない以上、選択のよし悪しは結果の成否では測れません。選択にいたるプロセスを重視し、後悔の少ない選択をめざします。

機を逃さないことを重視するのは、上で述べたように、選択は一回性のものだからです。
「後悔の少ない」という言葉づかいには補足が必要かもしれません。鍛錬によって、(反省はするが)そもそも後悔はしないという境地の方もおられるからで す。ここで言いたいのは、選択を後から振り返ったときに「あのとき・あの場ではあの選択が最善だった」といえるような選択をめざそうという意味です。


(1) 堀内 浩二『クリエイティブ・チョイス』(日本実業出版社、2009年)