070 明晰さの条件

 明晰とは、辞書的に言えば、「(考えが)明らかではっきりしていること」(広辞苑)です。

もちろん、はっきりしていればよいというものではありません。「俺の味方でないヤツは全員敵だ」みたいな単純な二分法的思考は、明晰な思考とは言われません。マネジャーの意志決定に関していえば、あいまいなことも含めて多くの要素を考えに入れ、なおかつ自分の決断に至るプロセスをはっきり示せる人を見るとき、われわれは「ああ、このひとは明晰な人だ」と感じるのではないでしょうか。

すこしまえから、こういった「明晰さ」はどういう力から成り立っているのかを考えていました。明晰ならざる頭で明晰さを定義するのは気が引けますが、要素分解をしてみればとっかかりがつかみやすくなるはずです。

深いテーマなので決定版とはいきませんが、今回は私案をお目にかけます。知・情・意の枠組みで整理を試みました。

1. [知]論理的推論がたしかであること

まず思いつくのは、いわゆる「思考力」です。明確な目的が与えられたときに、それに対する最善の手段を考案し、説明できる力と定義しておきましょう。ここだけでも大きなテーマですが、今回はその思考力を支えているものとして、二つの要素を挙げたいと思います。

思考力を支える柱の一つは「記憶」です。考えるためには材料が必要で、その材料は記憶です。多くの変数を考慮に入れるためには、短期的な記憶が必要です。ある選択の帰結をイメージするために過去の経験に照らしてみるためは、長期的な記憶が必要です。記録そのものは紙やコンピュータにあってもかまいませんし、必要に応じてそうすべきでしょう。しかし最終的な意志決定は、そう言った記録を記憶として脳内に取り込んだ後で行われます。

もう一つの柱は「注意を向けること」です。注意は3つの軸で整理できるように思います。

一つめは注意の深さ。考えるために、その対象に思考のスポットライトを当てる、できればレーザービームのように焦点を絞り込んで考える、ということです。

二つめは注意の幅。何かを見つめながら視界の端の動きにも気がつくことができるように、思考の焦点の外側の変化に気づいたり、そこからの発見を対象と結びつける発想力などが含まれます。

三つめは注意の長さ。そういった状態を継続させる力です。

などで紹介したとおり、ビジネスの世界でも瞑想に注目する動きがあります(1)が、瞑想によって鍛えられるものの一つが、この「注意」のスキルです。

2. [情]感情の調整ができること

思考力を支える要素として記憶と注意をあげましたが、これは両方とも感情の影響を受けます。

記憶は、記憶される対象となるできごとが起きた時点の感情の動きや、それを思い出すときの気分に左右されることが(気分一致効果といった名前で)知られています。

注意もしかり。注意を向けるべき対象を意識に知らせることこそが感情の主な役割だと言われています。

特定の感情は特定の思考を促します。たとえば

「驚いた → よく調べてみよう」
「不安だな… → しっかりチェックしよう」
「面白い! → もう一度やろう」

といった具合です。感情というと悪い方の影響ばかりが(例えば「感情的になるなよ」といった言葉で)話題になりがちですが、感情のこういった特性に注目し、思考と感情の統合を図ろうというのが、いわゆるEI理論(EQ理論)の立場です。イェール大学のピーター・サロベイ教授らは、感情の鋭い変化(心理学的には「情動」)を意思決定の情報として扱うことや、自分の感情を課題の性質に合わせて変化させることなどを一連の知能として定義しています(2)

3. [意] 人格が一貫していること

人格とはやや大げさな言葉ですが、ひらたくいえば自分なりの判断基準といった意味で用いています。

新人の採用、部下の処遇、事業の進出・撤退の判断……われわれの実際の意志決定は、たとえ考えの道筋が「論理的」であっても、その基準を純論理的に決めることができないものばかりです。メリット/デメリットの比較表のようなものを作って定量化したとしても、そのものさしに当事者の主観や見込みや美醜の感覚が入っています。

正誤の問題でなく善悪の問題が多いと言ってもいいかもしれません。正誤の基準は人間の頭の外にありますが、善悪の基準は内側にあります。内側の基準が毎回バラバラであったとしたら、とても明晰には見えないでしょう。多くの意志決定は、動的な、かつ小さな選択の積み重ねだからです。

一貫性は、いわゆる「頑固さ」とは区別されなければなりません。つねに最善の選択をめざすという一貫性を保つために、個々の局面では頑固でいられない(選択の基準を変えざるを得ない)ということが起きるからです。


(1) 『Googleの「心内検索」トレーニング

(2) たとえば『感情と行動のあいだのワンクッション